2005年総括


さて、今日で2005年も終わりです。
総括とかいう大層なものではないけど、簡単に今年1年を振り返ってみようと思います。
思うままに書き綴っているので、多少不適切な表現があるやもしれませんが、そこはどうかご勘弁ください。(もしくはご指摘ください。)



<1月>
正月は家でだらだら何もしてなかった気がします。
学校が始まるとすぐに試験があって・・・。
なんかパンキョーのレポート課題に無駄に燃えてたような・・・。
(そして専門試験の前にモチベーションが尽きた)
春合宿勉強会の準備開始もこの頃ですね。


<2月>
前半は専門の試験勉強。
但し、ほとんどモチベーションがなかったり。
政治学入門の教科書は3冊中1冊ちょいしか読んでないし、外書に至っては当日の朝全訳をプリントアウトして電車で読む始末・・・。
法学入門はサボりました。もうダメダメだなぁ私。


そして後半は春合宿勉強会の準備。
テーマは慣習国際法
ひたすら論文を読んでた気がします。


この頃初めて美容室なるものに行き、髪を染めました。
そういやそれ以来ずっと茶髪だなぁ。
どうも今年の1回生たちとっては黒髪の私の方が珍しいそうで・・・。


<3月>
春合宿準備〜春合宿。
それしかしてないような気がする。
慣習国際法の中でも「法的信念」なんつー抽象的なものを扱って・・・。
国連決議とも絡めて色々考えて仮説みたいなのを提示してみたものの・・・


やはり陳腐でした。(発表でソッコーつぶされた)


学者は偉大ですね。
そして自分の頭の悪さを痛感。もっと精進せねば・・・。


春合宿そのものは楽しかったです。
今まであまりしゃべったことない人とも仲良くなれたし。
回生の絆も深まった気がします。
初日夜に風呂で足の小指のツメはがすというアホなことをしでかしてろくにスキーできなくなるというアクシデントを除けば最高でした。
長野観光も楽しかったな。


ああ、平行して新歓のパンフとかビラとかも作ってたなぁ。
合宿後はひたすら新歓準備に費やす毎日でした。
・・・じゃないな。色々やってた。
あちこちの公文教室に出張して中学生にノートのとり方教えて回ったり、バイトしたり・・・。
久々に会う友人と遊んだりもしてたな。


後、大きかったのはら・ぷらすの休止。
精神的なショックもでかかったし、それから交流会の立ち上げ、その他諸々で忙殺された。
今となってはだいぶ整理もついてるけど、当時はやりきれなかったなぁ。


<4月>
成績発表。そして英語全落ちの恐怖におののく(嘘・・・試験受けてないからふつーに想定内)
相変わらず無駄なところでがんばっている成果が遺憾なく発揮されてた。


この時期は授業に出ておりました。


下宿したいなぁなんて思って資金集めにネット収入に凝ってたこともありました。
結局途中で挫折したけど。


交流会初イベントのお花見もあった。
あれは楽しかったなぁ。初回にしては上々の出来で。
花見と言えば龍谷大の新歓花見に行ったのに結局新入生がいなかったとかいう事件(笑)もあったなぁ。


サークルでは新歓。
特にビラ作成を一手に引き受け、ひたすら作りまくった。(そしてうざいほど配った)
後は新歓勉強会。テーマは「自衛権
最後の最後まで知識不足だったし、担当者同士で意見が合わなかった。
大いなる反省点が残った勉強会。
人見知りなのにはじめて会う新入生と喋るのはストレスが大きかった。
でも、けっこう楽しかった。
イベントの度に一喜一憂してたなぁ。


最後のら・ぷらす勉強会もあったなぁ。
ホントになんともいえない気持ちだった。
心の中にぽっかり穴が開いたみたいな・・・。
まぁ当時の私に感傷にふける時間などなかったわけだけれど。


<5月>
GWだけヒマだった。
ムダにエミュレーターゼルダしまくって不健康な生活を送った。
(結局寝不足で体力は回復するどころか削られた・・・アホ)


新歓は大成功?!12人の新入生を獲得しました。
けっこう楽しかったなぁ。でも疲れた。
気持ち的に疲れるんですよね。こういうのって。
新入生たちは皆個性的で、将来有望で・・・なかなか楽しみでした。


そしてAsiaの問題文発表が遅れに遅れ、クラウチング状態でイライラしながら、一方でら・ぷらす交流会の勉強会準備に忙殺されてました。
急ごしらえで作った勉強会は大した出来ではなかったです。
やっぱり準備は大事だ。
スタッフの方々の大変さが身にしみました。


そしてやっとこさ中盤過ぎてAsia問題文発表。
テーマは「テロと人権・人道」
それからはモギモギメモリアル提出まで怒涛のように時間が過ぎました。
だいぶ疲労困憊してたような・・・。


メモリアル作成と平行してチームの1回生に色々と教えることも多く、軽く狂いそうなほど忙しかった。
でも、人にモノを教えるのは好きだし、何よりもチームの1回生3人のモチベーションの高さと飲み込みの速さがものすごく、けっこう楽しんでた気もします。
ホント、メンバーに恵まれたなぁと痛感。


<6月>
入ってすぐにモギモギメモリアル提出。
篭りは楽しかったな。1回生の3人はホント最高だった。(つかがんばりすぎだよ)
メモリアルの出来はぐだぐだだったけど。(苦笑


そしてモギモギ弁論練習。
1回生の指導をしながら、自分の弁論原稿を作り、更にAsiaのメモリアルの準備・・・って無理。普通に無理。。
自分の処理能力の悪さを呪いながら、結局1回生の指導にのみ力を入れていました。
自分の弁論練習はぐだってたなぁ。証拠見つかんないし。
それに引き換え1回生たちはめきめき実力をつけていき、頼もしい限りだと思いました。
(少々・・・どころじゃなく私が無理をさせすぎたのは反省。ごめんよみんな。。)


そしてモギモギ(夏合宿)。
弁論はハッタリ。証拠はないものはないんだ。
結局、詐欺まがいのことをする(「ドイツの人」)
結果はチーム優勝、個人弁論1位、書面1位・・・といわゆる三冠王を獲得。
とりあえず普通に嬉しかった。
でもこれは自分の実力ってわけじゃなく、一緒にがんばってくれた1回生のおかげだと思う。(特にチーム優勝は)
若干チームの1回生の一部が報われなかったのが悔しかった。
3人ともすごくがんばっていたのだから、皆に良い結果が欲しかったのだけれど。
まぁとりあえず、チームの1回生たちがいい顔で楽しそうに模擬裁判に取りくんでいたことは本当に良かったと思う。
ホントにいい1回生に恵まれたなぁと幸せな気分に浸った。


帰った後は待ったなしにAsiaのメモリアル作成。
正味6日間の勝負。
原告メモリアルの担当者は私1人という状況の中(ある意味自業自得・・・1人の方がやりやすいとかアホなこと言ったから悪い)必死で書いた。
結果はやっぱりぐだぐだなメモリアルが出来上がった。
ぜんぜん詰め切れてない。
1人の力に限界を感じた。
同時に自分の中でたくさん足りないものがあるのも感じた。
「良いメモリアルって何だ?」
・・・これは今年1年間ずっと私が悩むことになる問いになった。


それからはAsiaメンバー用基礎勉強会の準備。
条約法条約、テロ関係、人道法、安保理決議などの基礎知識を詰め込むためのものだが、ここでも全て1人で抱え込んでしまって、結局大したことは出来なかった。
(Asiaメンバーには悪いことしたなぁという気がする。)
「人の力を借りる」ということを覚えなければならないと反省した。
この反省は未だ活かされてないような気もするけど・・・。


<7月>
Boxの引越し。
プレハブは思ったよりかはマシな環境だった。(暑いけど)
そして次期会長に選出される。
なんか私みたいなのに運営任せて良いのか・・・と疑問に思いつつ、やるからにはしっかり責務を果たさなければと決意する。
(いろんな作業を平行させる能力が欲しいと切実に思う。)


Asiaの弁論練習。
原告のカウンセラーとして、ひたすらサポートをする。
弁論練習では、がんばっているだけの成果がなかなか上がらないのを見てもどかしく思う。
彼らの力をうまく引き出せない自分のカウンセラーとしての能力を疑い、軽くモチベーションを下げる。
でも、結局最後の方になっていきなり伸び始め、安心した。
つかホントにこの期間のAsia弁論者(今年は全部1回生)のがんばりには脱帽。
自分は去年出てなかったけど、出ててもあんなにがんばれなかっただろうなぁ・・・。


同時期、個人的にはひたすら低調だった。
何が原因かは分かるようなわからないような。。(おそらく複合的要因)
忙しい・・・のはいつものことだけど、考えなければならないことがたくさんあって、しかもそれら1つ1つが全然種類の違うもので、軽く気が狂いそうになってた。
(単に処理能力が悪いんだろうが)
Asiaのこと、ら・ぷらすのこと、他にも公文関係の講演依頼が来てたり・・・。
それ以外にも色々あって鬱っぽかった。
どんどんやせた。食欲が減退するのは珍しいんだけどな。


そして試験はポイ。
受けるのは受けたけど、全然勉強に身が入らなかった。
なんか中途半端な状態で勉強をするのはかなりストレス。
いっそ全部サボってしまおうかと思ったけど、今後のことも考えてできるだけ受けた。
先輩や同輩の協力にはホント感謝。


<8月>
Asia国内予選。
結果は総合2位、書面(原告)2位
そして原告の2人が弁論1位2位を独占。
総合結果は惜しかったが、何よりも今まですごくがんばっていた弁論者の2人に結果が出て嬉しかった。


決勝では「反論再反論で差がついた」と裁判官に言われた。
反論を作ったのは紛れもない私である。
ものすごく反省した。完全になめてたわけではないが、反論にそこまで意識を向けていなかった。
書面の結果についても反省。
やはり独りよがりなものは評価されないのだ。


個人的には大きく反省点の残る大会だった。
しかし、同時に1回生の能力の高さを頼もしく思った。


関西に戻ってすぐにシンポジウムのレポート作成、そして姫路での公文のパネルディスカッションと忙しかった。
パネルディスカッションでは、司会をしたけど、良い経験になった。
伝えたいことをしっかりパネラーに喋ってもらって、それを繋いで、うまく時間内に収めることがいかに難しいか。
準備段階で相当詰めてただけに、本番は上々の出来だった。


それが終わって2・3日少しだらだらしてから、すぐにまた東京に行った。
高校の友人宅を拠点とした東京観光。
なかなかいろんなものが見れて楽しかった。


それからAsia本大会観戦。
諸々の事情で今年は辞退したけれど、ちょっと惜しかった気もする。
海外チームの英語弁論はすごかった。
でもあまり聞き取れなかった。(リスニング鍛えなければなぁ。。)
自分も英語弁論してみたいなぁとか思ったり。


そして国際シンポジウム。
これは本当に良い経験になった。
英語にすごく苦手意識のある私にとってはいい刺激になったし、言語の壁を越えたコミュニケーションってすごく楽しかった。
でももっともっと英語力を鍛えなきゃなぁとも思った。
なんか「もっと喋りたい」ってのがいいモチベーションを与えてくれたと思う。
また、他大に友達ができたのもよかったなぁ。


そうこうするうちにいつの間にかハタチになった。(シンポ最終日)
日付変わって一緒にいたAsiaの学生仲間に祝ってもらったのは嬉しかったなぁ。
成人・・・って感覚はあまりないけど、まぁそろそろ責任感も備えていかなければなぁ。
中身はまだまだ子供そのものだもんな。


<9月>
東京から戻ってからしばらくはゆっくり・・・というわけにもいかず、新執行部発足に向けて色々な雑務に追われる。
後、公文の講演もした。
これはまぁなんとかそれなりに喋ることができてよかったかなぁ。


そんなこんなしながら前半は人と会ったり、ちょこちょこ出かけたりもしてた。
でも、やりたいことはろくにすることができず、焦燥感も募ってた。
あ、初選挙。ムダにはしゃいだ。(笑


そしてJessupの問題文が出た。
西井カップエントリーメンバーは8名。
1回生が4人と2回生が4人。
なかなかバランスがとれてた。
それからはまた模擬裁判プレイヤー生活が始まった・・・。


<10月>
でかかったのはやはり神戸脱出。
憧れの下宿生活。
家賃は安いけど、生活するにはめちゃ十分な良質物件を発見しました。
結構探すのは苦労したけどヨカッター。


しかし、反面模擬裁判の方はさっぱり。
メモリアルが全然書けない書けない。
モチベーションはだださがり。
結局10月中はホントなにやってたんだ・・・ってな感じでした。


そうやってできたメモリアルは今までで最低の出来。
なんかこのへんが足りなかった・・・とかを考える気も失せるようなものだった。
普通に破りたくなった。それくらいダメ。
そんなこと言うくらいだったら最初からがんばっていればいいのに・・・。
だけど、そういうのとは裏腹に全然モチベーションが上がらなかったのだ。
そして、これはまだまだ続いた。


<11月>
結局、低調は続き、西井カップまではほぼ停滞状態。
やる気が出ない→論が進まない→弁論練習ぐだぐだ→自己嫌悪→やるきが出ない・・・という完全な負のスパイラルに陥った。
周りにすごくがんばっている1回生や同輩がいて、それと自分を比べるとものすごく情けなくなった。
この時期に忙しい時間を割いて弁論練習に付き合ってくださった先輩方には普通に申し訳ない。
全くやる気のない弁論しかしてなかったから。


論どうこうって問題ではなかった。
模擬裁判を普通にやめたくなった。
Jessuエントリーすら迷った。
結局、締め切り時間ぎりぎりにエントリーはしたけれども。


そしてそんな態度で臨んだ西井カップ
「裁判官との対話」には程遠い、言葉をぶつけるだけの弁論だった。
ただ、ただ、「早く終われば良い」としか考えられてなかった。
反論では少し持ち直したけれども。


結果は個人弁論3位


・・・妥当な結果だと思った。
そして、今まで自分が何をやっていたのだろうと空虚な気持ちになった。
とにかく疲れた。
その後、ふつふつと悔しさが込み上げてきた。
情けない自分に対する怒りが沸いてきた。
これを前へ進むエネルギーに変えなければ・・・そう思った。


それから、しばらく、自分の中のもやもやしていたことを噴出させた。
いろんな人に迷惑をかけた。
ホント自分勝手な行動だったと思う。
いろんな人に申し訳ないと思った。


そしてJessupメモリアル作成に没頭した。
とにかく、ひたすら、がむしゃらにがんばった。
でも、やっぱり独りよがりだった。
遅れを取り戻すことに必死で、自分の論を完成させることに必死で、周りの意見を聞こうとする余裕がなかった。
全体を見渡す目も、他人を気遣う気持ちも欠けていたように思う。


結果、できたメモリアルはある意味満足で、ある意味では本当に物足りないものだった。
漠然と、「これは良いメモリアルではないなぁ」とだけ思った。
周りのサポートの大切さが身にしみた。
自分1人では何も出来ない。そう思った。


<12月>
弁論練習をひたすら繰り返した。
それだけ。後は何もしていない。


ひたすら強い論を作るのに集中した。
そして、それは意外に早めに出来上がった。
(たまたま見つかった証拠が良かっただけのような気もする・・・)
そこからは、カウンターパートや、後半論点に目を向け、できるだけ全論点を把握しようと努めた。


どういう弁論を目指すのかも考えた。
私は特別口がうまいわけでもないし、パフォーマンスに長けているわけでもない、多分勝負できるのは証拠量とか論の緻密さだと思った。
だけど、それにプラスαが欲しかった。
とりあえず、何も持たずに喋ることにした。
そうすることによって柔軟な弁論が可能になる・・・そう信じた。


対戦弁論とかで、反論を磨いた。
相手の論のクリティカルな部分を見つける努力をした。
どの点を崩せば相手の論証を崩れたことになるのか・・・それを考えた。
そこに効果的にぶつけることのできる証拠を探した。
そして、短い時間の中にできるだけの情報量を詰め込み、かつ裁判官が聞きやすい喋り方を研究した。


そうして臨んだJessup国内大会。
予選ではまずまずの弁論が出来た。少なくとも去年のような失敗はしなかった。
そして準決勝では今までで一番気持ち良く弁論できた。


結果は総合2位、書面(原告)2位、個人弁論1位&最優秀弁論者賞


これについての感想は昨日書いた通り。
個人的に今まで模擬裁判に打ち込んできたことに対する1つの結果が出たのは素直に嬉しかった。
でも、なんか不完全燃焼な悔しさが残った。
そして、「もう一度喋りたかった」と強く思った。




何か全般的に反省点の方が多そうだけど、こんな感じでした。
もちろん、嬉しかったことも楽しかったこともたくさんあったけど。


・・・しかし長かったな1年。
振り返れば予想外に色々なことがあった。
今年もヒマな期間はなかったなぁ。充実してた。
模擬裁判一色だと思ってたら他にも色々やってたんだなぁ。結構。


でもやっぱり中心にあるのは模擬裁判だった。
そして色々なことを学んだ。
後輩が出来て、彼らに何かを教えたり、彼らを支えたりすることで違った視点が得られた。
そして何よりも彼らの才能、努力に奮起させられた。
また、自分の精神的な弱さを改めて痛感した。
これからどう改善していこうか・・・でもJessupの時に少しは得られたものがあると思う。


今年もまた色々な人に教えられ、支えられた1年だった。
出会った人全てに感謝しようと思います。ホント。
そして、今年得たものは更に来年に活かせるよう、また今年の反省点は来年克服できるよう・・・またがんばっていきたいなぁと思います。



今年も1年どうもありがとうございました。
更新サボりまくりでごめんなさい。
それでは皆様の新年が素晴らしいものでありますように。良いお年を。